1996年7月9日火曜日

日本企業の過去の巨額損失事件について

1996.7.9
 

過去の企業の巨額損失事件に関し、事件の概要及び事件発生後に各社で講じられた対策・措置について整理してみると、不祥事の内容・規模については、それぞれに違いはあるものの、その基本的な性格においては、すべてのケースに多くの共通項が見いだせるように思います。

(事件発生の背景)
まず共通していえることは、これらの事件の背景に「コモンセンスの不在」があったという点です。社内のある特定部門や個人に権限が集中していたこと、その「専門家」の判断に対する別の視点からの批判を許さない雰囲気があったこと、ある種の「聖域」が会社のなかで形成されていたことが共通してみられます。専門家の判断/別の視点からの異論/二つを勘案した上での経営判断という、風通しがよい意思決定の方法が、すなわちコモンセンスを生かす経営が望まれているように思います。

次に挙げられる特徴は、ファイアーウオール(防火壁)が欠如していたという点です。ルール違反はもちろんあってはならないことですが、たったひとつのルール違反が、部門間、業務間のファイアーウオールが機能していなかったために、会社全体の屋台骨を揺るがすようなことにつながっています。特に総合商社のような業務内容が広範に広がりがある会社組織においては、ひとつの部門での判断間違いやチョンボが、絶対に会社全体の命運を左右させないように、有効なファイアーウオールを社内に構築することが喫緊の課題になっているように思います。

(事件発生後の対策)
さて事件発生後の対策・措置についてでありますが、各社のとった措置は、大きく三つに分類できます。すなわち、1)ダメージの修復策、2)同様の事件の再発防止策としてのチェック機能の整備、3)「けじめ」の儀式、の三つであります。もちろん、とられた措置については複数の分類にまたがるものもありますが、以下、順に整理してみたいと思います。

1)ダメージの修復策
発生した損失は、何らかの方法で穴埋めしなければならず、その負担分を今後のオペレーションのなかで取り戻して行くために、不採算部門の縮小・切り捨てや、従業員数の削減などの固定費の削減策(リストラ)がとられています。
ネットワースの何分の一かに相当する巨額の損失が発生した以上、企業戦略を立てる上でのリスク許容度が小さくなるわけで、ある程度の経営姿勢の保守化がみられることはやむを得ないところです。しかし、この場合でも、企業にとっての「コア機能」の弱体化につながるような消極策は、企業の長期的発展力を抑制することになり避けるべきであります。何が当該企業にとっての「コア機能」で何がそうでないか、そのへんを日頃から議論してよく詰めておく必要があるように思います。

2)再発防止策、チェック機能の整備について
再発防止策、社内のチェック機能を強化策については、各社ともにいろいろの工夫をしています。事故を起こさない、かりに事故が起こっても損失の広がりを一定の範囲に留めるという「平面的な」ファイアーウオールに加えて、一部の会社では損失・リスクを先延ばしさせないための「時間的な」ファイアーウオールが工夫されており、注目されます。

ただ、為替や商品の先物取引についての損失繰り越し防止策に加えて、BOT/BOO方式の契約が一般化するなかで、長期化するカントリーリスクへの「時間的ファイアーウオール」も大きな課題であると思います。(機材の輸出船積み時点で一挙に巨額の売上と利益は計上されるのですが、契約リスクは数十年先にわたり延々と残る。)このような取引がどんどん増えている総合商社にとっては、どんなファイアーウオールを会社組織に制度的にビルトインできるかが、大きな検討課題です。

3)「けじめ」について
一従業員としては議論を避けたいテーマでありますが、当然のこととして責任問題にケリをつけることは大切であり、各社ともきびしい処分を発表しています。
これは「規則に照らし合わせて」とかいう以前に、もっと重要な点でありますが、連日連夜、さまざまな苦労をしながら、こつこつと利益を追求している(関係会社の従業員も含めた)社員全員の納得を得るための、すなわち従業員のモラルの維持のために必要な「儀式」としての性格もあるようです。
「けじめ」の対象は「個人」の場合と「組織」の場合がありますが、部門の整理統合、縮小、閉鎖と言ったリストラ措置は「組織」を対象とした「けじめ」とも考えられます。

(結論的に)
巨額損失事件とは、ある特定部門の取引に包含されるリスクが、ある特定の部門の体力を超えて大きくなっていることに気がつかず、突然に損失が表面化する事で生じる問題と考えることが出来ます。
それに対する根本的な対策は、各営業本部の負担できるリスク総額の上限が物理的に設定されて、それが貫徹される組織・制度の導入であり、究極的には分社化(持株会社化)ではないでしょうか。
もちろん、会社として、場合によっては、特定のビジネスについて部門の体力を超えたリスクをとるとの経営判断がありうることは当然でありますが、分社化していても本社の保証でそれは可能であり、それでリスクがより透明化されることにもなります。

含み資産と株主資本を、各事業部門が「大鍋のめし」のように野放図に当てできるという経営は透明性に欠けます。 巨額損失を出した英国名門企業ベアリング社を、バンク・オブ・イングランドは公的資金で救済することなく、あえて倒産させました。どんなチョンボをしても組織は大丈夫というのではなく、ひとつ間違うと部門の存続が危うくなるとの認識と実態こそが、本当にビルトインされたチェック機能・ファイアーウオールであると思います。
以上

1996年7月1日月曜日

グローバル化「問題」の克服に向けて

世界経済のグローバル化は多くの恩恵をもたらすと同時に、様々な問題もわれわれに突きつけている。これはすぐれて今日的問題であり、これをリヨン・サミットの主要テーマに設定したフランスのシラク大統領の見識はさすがであった。もとより議論して簡単に結論のでる問題ではなく、今回のサミットでは問題の存在の確認にとどまった。しかしこの問題は確実に今後の世界の中長期的な課題となっていくように思う。

ものには全て両面がある。グローバル化は大きな成長のチャンスである。しかしそれが引き起こす世界規模の競争激化が、勝者と敗者を作りだし、国際的、国内的に、いわゆる二極化現象を引き起こしているのである。

アメリカでは富裕層の実質所得が一貫して増大するなかで、貧困層では実質所得が逆に低下を続けるという二極分化が進んでいる。

ヨーロッパでは国内勤労者の生活水準を守るべく社会福祉制度を整備してきたが、それが逆にヨーロッパの失業率を極端に高めてしまった。

日本では悪名高き閉鎖的で不透明な経済システムが、内外価格差を温存させ、産業構造の調整を先のばしにしてきたが、痛みが本格的に表面化するのはもう時間の問題であろう。日本の産業競争力の強さの秘密は、ムラ的な社会的一体感にあったわけで、もしグローバル化が社会の二極分化をもたらせば、日本の産業競争力を、その根本的なところから崩してしまうことにもなりかねない。

アジアにおいても例外ではない。急速に進むグローバル化と経済発展が、伝統的な社会秩序そのものを崩壊させるのではないかとの心配が高まってきている。

さらに経済発展を続ける新興工業国と開発から完全に取り残されてしまった最貧国との間の格差という国際間二極分化の問題も生じている。世界中に、将来に対する漠然とした不安が広がってきているのだ。
一部の先進諸国には、発展途上国と先進諸国の間で労働条件などを平準化して(例えば児童労働の禁止など)、途上国の野放図な輸出に歯止めをかけ、先進国での調整の痛みをやわらげようとする考え方がある。

それに対しては、地域間の経済的、制度的「格差」こそが貿易活動と海外投資活動の原動力であり、グローバル化のデメリットはグローバル化のメリットを追究する過程で、いわば拡大均衡のなかで吸収していくべきであるとする考え方もある。

ひとつ言えることは、グローバル化のメリットとデメリットの両側面を認識し、バランスシートで考えなければならないと言うことだろう。その上でデメリットをいかに極小化するか、具体的に個別問題を検討することが重要になっている。

このようなグローバル化のメリット・デメリットの両面を企業レベルで考えるとどうであろうか。国家とは異なり、企業は地理的な制約を受けない。世界展開を実現している企業では従業員の国籍もきわめて多様である。企業は本質的にコスモポリタンであり、企業にとってはグローバル化はメリット以外のなにものでもないように見える。

グローバル化で企業のビジネスの舞台が大きく拡大し、情報ハイテク化で飛躍的な意志決定のスピードアップがもたらされ、チャンスは大きく膨らんでいる。その一方で、グローバル化されたビジネスは、カントリーリスクをはじめとする、かつてないほどに多様で巨大なリスクを包含するようになっていることも忘れてはならないだろう。チャンスとリスクのバランスシートで考えるリスクマネジメントが大切な時代になっている。

(橋本 尚幸)